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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)1396号 判決 1963年10月16日

控訴人 文部大臣 灘尾弘吉

右指定代理人 家弓吉已

外五名

控訴人補助参加人 宗教法人 松岩寺

右代表者代表役員 松山岩王

被控訴人 永井一英

右訴訟代理人弁護士 後藤衍吉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人と被控訴人との間に生じた分は控訴人、補助参加人と被控訴人との間に生じた分は補助参加人の各負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、控訴人は「松山に対する住職の罷免は無効である。従つて、被控訴人に対する住職の任命も効力がないから、被控訴人は旧松巌寺の代表者たる資格を取得せず、本件裁決により権利を害されることがないから、本訴請求をなす利益がない。」と主張する。しかし、被控訴人は旧松巌寺の住職に任命されたところ本件裁決にもとづき新松岩寺規則が認証されその設立登記を経たため、宗教法人法附則第十八項により旧松巌寺が解散しその権利義務は新松岩寺が承継して被控訴人はその地位を失うに至つたものであるから、本件裁決の取消を求める利益のあることは当然である。控訴人は本案において判断すべき事項を前提として立論しているのであつて理由がない。

二、参加人は「本件裁決が取り消されたとすれば、旧松巌寺が復活し解散法人となりその後同法による宗教法人としての設立手続をとらねばならないから、本訴はなんら実益がない。」と主張する。しかし、本件裁決が取り消されれば旧松巌寺が復活しその権利義務を保有し、同法附則により解散したものとされれば清算に入り清算法人として存続するに反し、新松岩寺は設立の基礎を失い、いわんや旧松巌寺の権利義務を承継することはないのである。従つて、本訴請求の実益がないとの主張は理由がない。

三、当事者間に争いない事実は、次のとおりである。

旧宗教法人松巌寺が旧宗教法人令に基き存立し、宗教法人曹洞宗の被包括寺院であり、松山岩王がその住職として主管者、かつ、代表者であつた。旧松巌寺は宗教法人法により新宗教法人となるため昭和二十七年十月二日宮城県知事に対し新宗教法人松岩寺規則の認証を申請した。同知事は昭和二十九年四月一日付で被包括関係廃止の手続がなされていないとの理由で認証できない旨の決定をなし、これに対し旧松巌寺が同月二十五日再審査の請求をしたが同知事は同年十二月九日付で認証できないとの決定をした。同決定に対し松山岩王が旧松巌寺の代表者として控訴人に対し同月十八日訴願をしたところ、控訴人が昭和三十年九月二十九日付で訴願を容認する裁決をし、同裁決により宮城県知事が同年十月十一日新松岩寺規則を認証し、同月十四日新松岩寺の設立登記がなされ、旧松巌寺の登記が閉鎖された。右訴願申立に先立つ昭和二十九年四月二十一日宗教法人曹洞宗は曹洞宗住職任免規程第十一条により松山岩王を住職から罷免し、その頃同人に通知するとともに同年五月十三日被控訴人を住職に任命し直ちにその旨の登記をした。住職を罷免されれば曹洞宗規則により代表役員たる資格も当然消滅する定めであつた。

四、新松岩寺規則の決定について所定の手続を経由したか否につき判断する。同法附則第十一項により旧松巌寺規則の変更に関する手続に従うべきところ、旧松巌寺規則第四十七条により同規則の変更には総代の同意を要する旨定められていることは争いない。

控訴人は「昭和二十七年一月以降総代は川原田生、高橋熊治の両名である。」と主張するが≪証拠省略≫対比し措信し難く、かえつて、右対比に供した証拠によれば、昭和二十七年一月以降の総代は及川養治郎、庄司又一郎、阿部新三郎であることが認められる。同人らが新松岩寺規則案について同意をした事実はこれを認めるべき証拠がなく、かえつて、右及川養治郎の証言及び後記認定の、松山岩王に対する檀徒の不信任運動が起こるに至つた経緯に徴し、右総代が新松岩寺規則案について同意を与えたことがなかつた事実を認めることができる。

従つて、新松岩寺規則の決定は旧松巌寺規則の変更に関する手続に従わず同法附則第十一項に違反している。

五、控訴人は「新松岩寺規則は、認証申請をするより一箇月以上以前の昭和二十七年八月十二日頃から少くとも一箇月間、本堂に掲示し、その他その内容を信徒に周知させるため寺や、墓地の入口等に規則案が本堂に掲示してある旨及び被包括関係を廃止しようとする旨記載した紙を掲示した。」と主張する。しかし≪証拠省略≫いまだ周知徹底の方法を尽したと認め難い。また、≪証拠省略≫は松巌寺のバナナが実をつけた写真であると認められるが、≪証拠省略≫によれば、右バナナが実をつけたのは昭和二十八年であることが認められ、丙十二号証も右事実を認めるに足りない。かえつて、右対比に供した各証言に、後記の如く、檀徒の不信任運動が起り、また、昭和二十七年十月二日認証申請をしながら、これに添付すべき新松岩寺規則案を添えず、漸く昭和二十九年三月三十日頃これを提出した事実に徴すれば、主張のような周知の方法が採られていなかつたと認めるのが相当である。

従つて、新松岩寺規則案は新法第十二条所定の公告の手続を履践していない。

六、控訴人は「旧松巌寺は昭和二十七年八月十五日普通はがきをもつて曹洞宗に対し被包括関係を廃止しようとする旨の通知をした。」と主張する。しかし、≪証拠省略≫原審及び当審における被控訴本人尋問の結果に対比し直ちに信じ難く、原審証人桜井英清の証言により成立の認められる乙第三号証の三も右事実を認めるに足りず、その他右主張を認めるべき適切な証拠がない。従つて、右主張は認容できない。

七、控訴人は「被包括関係を廃止しようとする旨の通知は法律に定める時期になす必要はなく、本件裁決のなされるまでになせば足りる。」と主張する。しかし、被包括関係の廃止は包括団体にとつても宗務行政上、また、布教の達成上重大な利害関係を有することは論をまたないところである。そして、宗教法人法の施行により旧宗教法人が新宗教法人となるに伴ない被包括関係を廃止し得ることとし、その手続には旧宗教法人令第六条後段の手続を経ることを要せず、ただ廃止しようとする通知を公告と同時に包括団体になせば足りることに改められたのであるが、この通知は包括団体の利益を保護するための最少限度の要件であるとみられるから、所定の時期にこの手続を履践しないことは許されないと解される。控訴人の見解は被包括団体の利益にのみ傾むき包括団体の利益を無視するもので採用できない。

八、控訴人は「認証申請の審査については形式的書類審査をもつて足りるから所定の書面が添付されておれば認証をなすべきである。」と主張する。しかし、認証は設立される宗教法人が同法第十二条の資格要件を備え所定の手続を履践したことを確認し証明する行為であつて、単に提出された文書の形式が備わつているだけでじゆうぶんなものであるとはいえない。従つて、設立される宗教法人が同法所定の資格要件を欠き、又は、所定の手続を経ていないときは、認証申請書の形式が備わつていても、その認証の決定には欠陥があるといわねばならない。

九、参加人は「松山岩王は曹洞宗寺院住職任免規程に基づき住職を罷免されたが、同規程は所轄庁の認証を受けていない細則規程であり、寺院住職の罷免は他の宗教団体を制約する事項を定めたものであるから同法第十二条第一項により無効である。」と主張する。しかし、住職の任免については同法第十二条は認証を受けるべき事項として掲げていないから住職の任免に関する事項についての規定は認証を受ける必要はない。ただ、住職を罷免されれば代表役員でなくなるが、これは曹洞宗規則第六十条の規定によるのであつて、同規則が認証を受けていることは争いないところである。また、右規則第六十条により住職は宗憲により曹洞宗がこれを任免すべき旨を規定し任免の細則については規則第七十八条により規程で定め得べき旨を規定してその認証を得ているから、住職任免規程が代表役員の任免に関する事項について他の宗教団体を制約する事項を定めたものとみられるとしても、直ちに同規程が無効であるということはできない。

十、曹洞宗が松山岩王に対し住職を罷免するにつき曹洞宗住職任免規程第十一条所定の事由が存するか否かにつき判断する。

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

旧松巌寺は約四百年前から所在地たる石巻市湊地区の菩提寺として護持され宗教法人曹洞宗に所属し被包括関係にあつた。松山岩王は同寺の住職であつたが、かねてから曹洞宗の宗派行政に不正不明朗な点があるとして曹洞宗との関係に不満を抱いていた。昭和二十六年四月宗教法人法の施行により包括団体の同意を要しないで容易に被包括関係を廃止して単立寺院となる道が開かれたので、この機会に曹洞宗から離脱して精神的経済的従属関係を断ち、単立寺院として自由な宗教活動に入りたいと考えていた。ところで、松山岩王は終戦前においても旧松巌寺墓地を独断で売却して檀徒らに咎められたことがあるなどして、檀徒との関係が必ずしも円滑でなく、檀徒の全面的な信頼を受けているといえなかつた。また、旧松巌寺が曹洞宗に所属していた古い歴史からみても曹洞宗との被包括関係の廃止について檀徒の承諾が容易に得られるような見込も立てられなかつた。そこで、松山岩王は、その意図を極めて少数の心の許せる檀徒に洩らしこれらの檀徒と相談しながら隠密のうちに手続の進行をはかり、一般の檀徒にはこれを明らかにしなかつた。そして、認証申請の最終日である昭和二十七年十月二日宮城県知事に対し認証申請書を提出したが、新松岩寺規則案、離脱通知の証明書等一切の附属書類を添付しなかつた。また、新松岩寺規則案について総代及川養治郎らに相談ないし同意を受けることもなく、右申請より一箇月前に規則案の内容を周知徹底させる手段については適当の措置を講じなかつた。このため、大多数の檀徒は新松岩寺設立手続の進行についてなんら知るところがなかつた。ところで、これより先、従来登記簿上檀徒の共有名義となつていた寺有墓地が檀徒の知らない間に全部松山岩王の個人名義に書き換えられたことが昭和二十四年頃明らかとなり、檀徒との間に紛争が生じ、境外墓地については登記名義を松巌寺に訂正したが、境内墓地についてはそのまま名義変更をしなかつた。ために、昭和二十八年六月頃に至り、寺有地を横領したということで檀徒から告発されることとなつたが、檀徒総代及川養治郎らが中に立つて、松山岩王が同年九月十五日までに登記名義を寺有に変更することを誓約し事件は一応解決した。ところが、同人は右誓約を履行せず檀徒に催促されても言を左右にするのみであつた。このため、檀徒の不信を買い不満を募らせて行つた。こうするうち、昭和二十九年初頭において、檀徒が同年三月いつぱいに規則認証の決定がなされないと旧松巌寺は当然に解散となること、同寺は認証申請の手続を完了していないことを聞き知り、これを心配して、檀徒総代及川養治郎らが松山に右手続履践の有無を問いただしたが同人は的確な回答をなさず真相を明らかにしなかつた。ここにおいて、檀徒らは右墓地問題や松山の曹洞宗に対する批判的な態度などからして、松山が故意に規則認証申請手続を怠り旧松巌寺を廃寺にして寺有財産を横領しようと策しているものと考え、四百年の歴史をもつ同寺を解散から救うためには松山岩王を住職の地位から追放するほかに方法がないとする意向が強まり、遂に右及川らが発起人となり同年三月頃松山不信任の署名を集めたところ二百余名の署名を得たので、同年三月二十八日曹洞宗に対し松山を罷免するよう上申するようになつた。そこで被控訴人が曹洞宗の命を受けて事情調査のため現地に赴いて調査したところ同月三十日頃松山岩王が新松岩寺規則案等を県庁に提出したが、その内容は曹洞宗との被包括関係の廃止を内容とするものであることが分つた。このことを聞いて檀徒らは始めて松山が単立寺院の設立を企図していたことを知り大いに驚き、これに反対して被包括関係の継続を内容とする規則認証申請書を同年四月三日県庁に持参したが受理されなかつた。また、被控訴人が事情調査のため松山岩王に面会を求めたが話合を拒否された。そこで、及川養治郎ら有力檀徒らが発起人となり同月七日前後策を講ずるため出席者約百十七名白紙委任状によるもの約百四十九名をもつて檀徒総会を開いた。その席上松山岩王が事情を釈明したが檀徒らの了承を得られず、満場一致で松山を追放し松巌寺を包括寺院として再建することを決議した。曹洞宗としては、松山が檀徒と融和するよう希望し被控訴人その他を通じて説得し、また檀徒らとの話合の機会をも作ろうとしたが、松山はこれに応じなかつた。当時の松巌寺の檀徒は総数約三百戸であり、その他に若干の信徒があつた。右のような多数の檀徒らが松山追放の決議を支持して松山に帰依せず、反面、松山もその所信を曲げず檀徒らと融和する意向が全くないことが明らかとなつたので、曹洞宗は、松山が檀徒の帰依を受けて寺院を維持すべき住職の任に不適当なものと認め、同月二十一日付で松山を住職から罷免し、同月二十六日これを同人に通知し、法類総代及び檀徒らの上申に基づき被控訴人を同年五月十三日後任住職として任命した。曹洞宗としては松山の被包括関係の離脱を快よしとしない点はあつたとして、それがために松山罷免の措置をとつたものではない。また現在多くの檀徒らは被控訴人を住職とし曹洞宗と被包括関係を維持して旧松巌寺を再建することを望んでいる。

右のとおり認められ、右認定に反する原審証人丹野朗山≪中略≫の各供述は措信せず、他に右認定を覆えすに足りる適確な証拠はない。

右事実によれば、大多数の檀徒の松山岩王に対する不信任は根深くかつ相当の理由があり、松山岩王においても檀徒と融和しその信頼を回復する意思もないのであるから、住職として寺院を維持する職責を全うすることができないというほかなく、曹洞宗において松山が松巌寺住職として不適当であると判定したことは相当である。従つて、罷免の処分が住職任免規程の要件を満していないとの主張は理由がない。

十一、宗教法人法は第二十六条により被包括関係の廃止につき旧宗教法人令に比し著しく容易にできるよう定め、その廃止により被包括団体が不利益な取扱を受けないよう同法第七十八条第一、二項により保護し、あいまつて信仰の自由を維持しようとしているのであるが、同法附則第十四項はほぼ同法第二十六条と同様に新宗教法人が被包括関係の廃止を容易にできるよう規定している趣旨からみれば、その廃止により被包括団体が不利益な取扱を受けないよう保護する必要のあることも同法の場合と同一であるから、同法附則により新宗教法人が被包括関係を廃止する場合にも同法第七十八条第一、二項の規定が適用されると解するのが相当である。

十二、ところで、前段認定の事実によれば、松山岩王が檀徒の意向を無視して信頼を失い住職として寺院を維持する職責を果し得なくなつたので、曹洞宗が不適当と認めて罷免したのであつて、松山岩王が被包括関係の廃止を企てたことを咎めて罷免したものであると認められないこと前記のとおりであるから、同人に対する罷免は右法条に該当しない。これに反する控訴人の主張は理由がない。

十三、控訴人は「被控訴人に対してなした任命が旧松巌寺規則に定める後任住職選任の順位を無視し、かつ、諮問機関にはからないでなされたから無効である。」と主張する。≪証拠省略≫によれば、住職罷免にともなう後任住職の任命は特殊緊急の場合であつて寺院規則に定める選任順位に拘束されず檀徒の意向を考慮しながら任命する慣例になつていること、旧松巌寺法類総代及び檀徒総代が連名で松山罷免後の紛争途上のこと故後任住職は至急には選定しがたいから、被控訴人を兼務住職として選定した旨の兼務住職任命申請に基づきなされたものであることが認められるから、右選任につき右寺院規則が適用されなければならないものでもなし、また、住職罷免という特別な事情のもとで後任者の選定ができにくいので暫定的に被控訴人を兼務住職として選定した総代の上申に基づき選任したのであるから、あながち右順位を無視した無効な選任とも言えない。従つて、右主張も理由がない。

十四、以上のとおりであるから、新松岩寺の設立は法律に定める重要な手続を履践しておらず、その手続が適法になされたものと認めてなした本件裁決には重大な欠陥がある。また、本件訴願を提起したとき松山岩王は大多数の檀徒の信任を失い曹洞宗から罷免された旧松巌寺の代表者たる資格を失い本件訴願提起の権限がなかつた。のみならず、本件裁決がなければ旧松巌寺は同法の附則により解散するに至つたわけであるが、大多数の檀徒は正当な住職である被控訴人のもとに旧松巌寺を曹洞宗と被包括関係を持ちつつ再建することを希望し、松山岩王を住職とする単立寺院を設立することを希望していなかつたところ、控訴人は松山岩王の罷免を無効であるとして本件裁決をなし、よつて、松山岩王を住職とする単立寺院を設立させるに至つたのであつて、正当なる住職を無視し多数の檀徒の意向をふみにじつたことになり、単に訴願人の資格を誤つたという手続上の問題に止まるものではない。従つて、いずれの点よりみるも本件裁決は違法であつて取消を免れない。

よつて、原判決は相当であるから、本件控訴を棄却し、控訴費用は民事訴訟法第八十九条により、控訴人と被控訴人との間に生じた部分は控訴人、補助参加人と被控訴人との間に生じた部分は補助参加人の各負担とする。

(裁判長裁判官 千種達夫 裁判官 脇屋寿夫 渡辺一雄)

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